2012 年 1 月20日
全日本民主医療機関連合会会長 藤末 衛
1)はじめに
国は、 2011年秋の臨時国会に「医師もしくは保健師によるストレスに関する検査を実施し、労働者の申し出により医師による面接指導を行うこと」を柱とする労働安全衛生法改正法案を提出した。法案は実質的審議が行われないまま継続審議となった。
この労働安全衛生法改正法案には以下の点で重要な問題点があり、職場のメンタルヘルスの改善にはつながらない。
産業医活動や職域健診など産業保健活動を誠実に行っている私たち全日本民医連は同法案の撤廃を強く求める。
2) 経過
10数年間にわたり自殺者が 3万人を超え減少傾向が認められていない。厚生労働省に設置された「自殺・うつ病等対策プロジェクトチーム報告」において、職場におけるメンタルヘルス対策が重点の1つとされ、メンタルヘルス不調者の把握と把握後の適切な対応について検討することとされた。
具体化を図るため開催された「職場におけるメンタルヘルス対策検討会」では 2010 年 5 月31日から7月14日までの短期間の討議で報告書を作成し、9 月7 日公表した。
これに対して日本産業衛生学会は 2010年6月 26日「一般定期健康診断の一部として、全事業場で一律にうつ病のスクリーニングを実施することには現状では問題が多く、日本産業衛生学会理事会としては賛成できない」との見解を表明している。
ところが、厚生労働省は新たに「事業場における産業保健活動の拡充に関する検討会」を開催し外部専門機関の導入を促進する報告書を取りまとめた。
こうした動きに対して産業衛生学会産業医部会は2010年12月25日「健康診断時うつ病スクリーニングならびに産業保健活動の拡充を目的とした外部専門機関導入構想に対する産業医部会としての意見」を表明している。さらに2011 年9 月 15 日には「産業医有資格者、メンタルヘルスに知見を有する医師等で構成された外部専門機関を、一定の要件の下に登録機関として、嘱託産業医と同様の役割を担うことができるとした「建議」に基づく法(または省令等)改定の中止を求める」産業医部会幹事会の見解を表明した。
すなわち、わが国の労働衛生の専門学会が反対している施策を、国は強引に推し進めようとしているといえる。
3) 法案の概要は以下のとおりである
- 医師もしくは保健師がストレスチェックを行い、結果を直接本人へ通知して産業医等の面接を促す。
- 労働者が産業医等の医師への面接を事業者に申し出でる。
- 事業者は申し出のあった労働者に対し産業医等への面接を受けさせる義務がある。
- 産業医等はさらに本人が同意した場合に限り、事業者に対して就業制限等の意見を述べる
- 事業者は医師の意見を勘案し、その必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少その他の措置を講ずるほか、当該医師の意見の衛生委員会若しくは安全衛生委員会又は労働時間等設定改善委員会への報告その他の適切な措置を行う
4) 労働安全衛生法「改正j法案には以下の問題点がある。
- 第一にストレスチェックの効果が確立していないことである。
職域のストレスチェックを行いその後の面接指導で改善が認められた報告論文は僅か1編のみであり、それもスクリーニングされた者のうち9割以上が精神科医等の面接指導を受けた場合とされている。
今回推奨されている9項目の質問表を用いたメンタルヘルスの改善事例の蓄積は殆ど無い。
ストレスチェックで対象とされる労働者は 10数%と想定されており、この中には多数の偽陽性者が含まれると考えられる。
EBMの確立していない方法はとるべきではない。
- 多くの非正規労働者が、はじめから除外されてしまう可能性が高い。
また零細企業では健診受診率さえも低いのが現実であり、これらの労働者も除外されかねない。
- さらに、ストレスチェックによる「偽陰性」が相当数出ることが懸念される。
現在非正規労働者は三分の一以上になっており、とりわけ若者では過半数が非正規労働者である。
雇用関係が不安定な非正規労働者では「メンタル不調者」に対する「雇いどめ」が横行している現状からすれば、ストレスを抱えていても正直に訴えることが出来ないのが実態である。
- こうした「偽陰性」労働者に対しては「適切に申告しなかった」として「自己責任」が押し付けられる可能性が高い。
また事業者が自らの職場に問題なしとして改善を行わない口実ともされかねない。
- ストレスチェックにより面接の対象となった労働者が事業者に面接の申し出を行うことにも問題がある。
精神障害による労災認定事例でも多くは長時間労働や職場のパワーハラスメントが要因とされている。
これら長時間労働を強要しまたはハラスメン卜を行っている上司等に面接希望を申し出る事は、困難である。
- 事業者による就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等の事後措置は、事業者が「その必要があると認めるとき」とされているが、その判断は客観性を持たない
- このストレスチェックを外部専門機関に委託した場合、産業医契約を行ったとみなすことが可能となっている。職場における労働安全衛生に関する課題は、アスベストをはじめとする有害物質対策や、人間工学的対策など様々なものがある。産業医の活動をメンタルヘルス対策に矮小化しかねず、これまでの産業医が行ってきた業務を軽視し、信頼関係を損ねかねない。
5)健康職場作りが重要
職場における、メンタルヘルス対策は、労働者一人ひとりを対象としたストレスチェックではなく、一次予防を中心とした健康職場作り対策が必要である。
とりわけ、職場におけるハラスメント予防や長時間労働をなくす取り組みを強化する事が最重要課題と言える。
“労働安全衛生法の一部を改正する法律案”のうち、「メンタルヘルス対策の充実・強化」の部分が、労働者のためにならないことが明らかなために、廃案または一旦保留として大幅な修正を求めます。
日本産業衛生学会の産業医部会も以上の意見を表明しています。